この電車に乗る前に、JR名古屋駅の中央線ホームに行ってみた。あの事故の時から17日ぶりだった。実際どのような階段だったのか、どうしてももう一度、現場検証をしておきたかった。
ホームから途中の踊り場まで、7〜8段位だろうと思っていたが、数えてみると17段あった。だれかが後で「石の階段だから、よく大けがをしなかったね」と言っていたが、まさに石の階段だった。1段の高さが13センチ、それほど高くはない。きっとこのことが大きなけがにつながらずにすんだのだろう。
しばし、ホームから階段下を眺めていた。誰も昇り降りしていない階段は不気味に、冷たく見えた。黙ったままじっと私とにらめっこしていた。どこからともなく自然に切なさのようなものが込み上げてきた。もしかしたら僕はあの時この場所で…。僕は今こうしてここに立っている。「生きている」ということをしみじみと実感させられている。心配をして声をかけてくれた多くの人の顔が浮かんだ。「ありがとう」自然にその言葉が口をついて出た。
夜8時を廻っている。電車は暗い夜の帳を単調な音を響かせながら、ひたすら走り続けている。窓の遠くに、灯りのともった住宅が沢山見える。この灯りはずっと、永遠に灯っていなければならない。それがあたりまえなのだから。
僕は今、病院の部屋で病魔と闘っている父親のもとへ急いでいる。昨日まで何もなく元気でいた父が急な病で病院に担ぎこまれた、という知らせを聞いて、急遽仕事先から向かっている。
僕が事故からじっとしている間にも、様々な所で様々な事故、災害に巻き込まれて命を落とす人が後を絶たない。運命と言ってしまえばそれまでだが、当事者としては、あまりにも耐えがたい。なぜ、今、こんなところで命を終えなければならないのか、そんな行き場のない慟哭の声が聞こえてくる。
いつ、どこで、何が起こるかわからない。そんな時代に私達は生きている。
下の踊り場までおちました



